web用『飛梅伝説』タイトル画

2017年の早春、福岡での仕事を終えて、太宰府天満宮に立ち寄った。
太宰府天満宮は「学問の神さま」として全国的にも有名な神社であるし、受験を控えた中高生の読者も多いから、彼らの合格を祈願しようと思ったのだ。

本殿まで進むと、おおっ。向かって右側に、名高い「飛梅」があった。
高さ5m、枝の広がりは8mほどもありそうな古木。まだ1月なのに、早くも白い花を咲かせ始めていた。

この飛梅には、有名な伝説がある。
平安時代、秀才の誉れも高かった菅原道真は右大臣にまで上り詰めたが、陰謀によって無実の罪を着せられ、九州の太宰府に追いやられることになる。
旅立つとき、道真は愛していた梅の木に歌いかけた。
「東風吹かば にほひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」。

東風は「こち」と読むと、春に吹く東風のこと。「にほふ」は古語で「花が美しく咲く」ことをいう。
つまり道真は「春が来たら、美しい花を咲かせてくれ。主人の私がいないからといって、春が来たことを忘れてはならないよ」と梅の木に語りかけたのだ。まことに優しく、哀しい歌である。
そして、これに感じた梅が、道真を追って一夜のうちに太宰府まで飛んできた――というのが、飛梅の伝説だ。まことにココロ温まる話である。

どれほどの速度で飛んできた?

この伝説は数々の書物に登場するらしい。
『源平盛衰記』や『古今著聞集』には「梅の枝が飛んで根づいた」と記されているが、枝ではなく、「木が飛んで行って根づいた」というのが一般的なようだ。
すると、科学的に気になる。このとき、梅の木の速度はどれほどだったのか?

京都の道真の屋敷跡から太宰府天満宮まで、直線距離で508㎞だ。「一晩」というのを「人々が寝ているあいだ」と考えて7時間とすると、梅は時速73㎞で飛んだ計算になる。
これはJR山手線が快調に走っているときぐらいのスピードである。想像してもらいたい。夜の闇を、梅の木が電車のようなスピードでヒュゴ~ッと飛んでいく光景を。目撃した人は腰が抜けるほど驚いたであろう。

しかし、どうすれば木が飛んでいけるのか?
木にはエンジンも翼もないから、普通に考えれば、驚異的な風が吹いて根こそぎ飛ばされた……ということだろうか。
その場合、京都から大宰府にかけて、つまり西日本全域に、立っている木が根こそぎ持っていかれるような大嵐が吹き荒れたことになってしまう。歴史に残る天変地異であり、翌朝、道真公が目覚めると、庭には梅の木はもちろん、ありとあらゆるガラクタが山のように……。

道真は花を見られたのか?

いかん。
せっかくの美しい飛梅伝説が、おかしなイメージになってきた。ここはもう、梅の木は、道真の歌で何かが覚醒し、自力飛行してきたと考えよう。だったら、伝説は実現するのか?

梅の木の行く手を阻むのは、またも風である。
その推定移動スピード・時速73㎞とは、秒速20m。この速度で飛行中の飛梅には、風速20mの風が吹きつけたことになる。
気象庁が発表している「風速階級表」によると、この風速の風が吹くと「小枝が折れる」。
こ、これはマズイ。枝は折れ、たぶんその前につぼみは吹き飛び、せっかく飛んでいっても、主の愛する花は咲かないではないか。

web用『飛梅伝説』図A

いや、ひょっとしたら災い転じて福となるかもしれない。園芸図鑑には、こんな内容のことが書いてあったのだ。
「梅の移植では、木の負担を軽くするために、根や枝をかなり切る」。
梅の木が地中の根をブチブチ切って飛び立ち、飛行中に枝の大半が折れたとしても、むしろ移植にはふさわしい条件が揃うかもしれない。
また、移植に適するのは、葉が落ちている時期だという。東風が吹く春先は、おお~、まさにピッタリだ。

それでも、見過ごせないコトが書いてある。
「ただし、枝を切るので、その年は花が咲かず、2、3年は枝も花も少ない」。
やややっ、これは困った。道真が大宰府に流されたのは901年1月。亡くなったのは903年2月。大宰府で暮らしたのはわずか2年であり、梅の花が見られたかどうか微妙ということに……。

いやいや、508㎞もの距離を超えて、道真のところまで飛んできた梅の木である。道真の存命中に、美しい花を咲かせたと信じよう。春は、花咲く季節なのだ。【了】

本文・柳田理科雄
イラスト・近藤ゆたか