キューティクル

『キューティクル探偵因幡』の登場人物はみんな個性的だが、もちろん主人公の因幡洋もそう。人間に見えて、人間ではない。狼男と人間の女性の人工受精で生まれた「秘密警察犬」の一人である。
特殊警察犬は警察犬でありながら、同時に人間としても扱われる特異な存在で、彼らは、さまざまなものから犯人に関する情報を得ることができる。因幡の場合、情報源は「髪」。手で触れれば個人を識別し、口に含めば記憶が読める。情報の取得は、秘密警察犬たちに快感をもたらすため、因幡は極度の毛フェチになってしまった……というのだ。なかなかすごい話である。
髪から個人を特定することは、現実世界でも行われている。だが、記憶まで読み取れるという話は聞いたことがない。いったいどうなっているのだろうか?

DNA鑑定とどう違う?

髪から個人を識別すると聞いて、まず思い出すのはDNA鑑定。殺人現場などに残った髪から、犯人を特定する捜査手段だ。
だが髪のDNA鑑定には、髪に毛根がついていることが必要らしい。髪そのものは死んだ細胞の集まりなので、DNAが残っていないのだ。
一方、毛根の細胞は抜かれる直前まで生きている。残された髪でDNA鑑定ができるのは、被害者が抵抗するなどして引き抜かれた、犯人の毛根つきの髪が発見された場合に限られるという。

では、因幡はどうやって髪から個人を識別するのか。
劇中、因幡は助手の野崎圭に初めて会ったとき、頭に「あむあむ」とかぶりついて、「氏名」「居住環境」「健康状態」「補導暦」などの個人情報を読み取っていた。どれもDNAではわからないことばかりだ。
しかも因幡は、毛根にまったく興味を示さない。どうやら因幡は、DNA鑑定などとは次元の違う、きわめて高度なことをやっていると思われるのだが……。

キューティクルとは何か

髪から個人情報や記憶を読み取るなどということが、可能なのだろうか。
記憶はその人の脳に蓄積されるもので、外に漏れ出すものではない。
だが、記憶そのものは残らなくても、ある人が経験したことの痕跡が、体に残ることはある。ケガの跡が残ったり、トレーニングのおかげで筋肉がついたり。
ひょっとして、因幡は髪に残った痕跡を読み取り、分析・再構築して、その人の経験をあぶり出すことができるのではないか。それを劇中で「記憶を読む」と表現しているとしたら……?

そう仮定すると、因幡が髪から記憶を読むというのは理に適っているようにも思える。
皮膚が2ヵ月で入れ替わるのに対して、髪は何年も伸び続ける。その分、髪は長期間の痕跡を留めておくことができるはずだからだ。
劇中、因幡のもとにヤクザの若頭が依頼に来たことがある。
彼は肩まで届く艶やかな黒髪を持っていた。人間の髪は1日に平均0・4㎜伸びるから、彼の髪の長さを25㎝とすると、その髪には625日=1年9ヵ月の経験の痕跡が残っていることになる。
では、その痕跡は髪のどこに残るのか。当然、髪の表面を覆うキューティクルであろう。これは、ウロコのような形をした小片で、髪の表面を屋根瓦のように覆い、髪を守っている。
因幡は、重なり合うキューティクルを海の波に見たて「その波は穏やかなようでときに荒々しく(中略)己が傷つくことも厭わず外敵から守り続ける。俺はキューティクルに母の愛を見た!!」と、キューティクルへの並々ならぬこだわりを披瀝している。

キューティクル図解

妄想を交えて考えると……

因幡は、若頭の髪の毛から、依頼者の所属組織名、地位、氏名、そして組織の長が難手術を控えて入院中であることまで読み取っていた。なぜそこまで複雑な情報が、キューティクルに痕跡として残るのか?
筆者が思いつくメカニズムは一つしかない。以下、科学が追いつかないところを妄想で補うけど、ご勘弁いただきたい。

脳が活動すると、脳の表面に電圧の変化が起こる(ここまでは科学)。
それが頭皮越しに表れるのが脳波だ(ここも科学)。
そして、キューティクルは毛根のなかにある毛母細胞で作られる(まだ科学)。
毛母細胞は、頭皮より脳に近い位置にあるから、脳の電圧変化の作用を強く受けて、キューティクルの大きさ、形、配列にわずかな影響を与える可能性もないとはいえない(妄想に突入)。
嬉しいときには伸びやかなキューティクルが生まれ、悲しいときには萎びたキューティクルが作られる(大妄想!)。

え~、科学に戻りますと、因幡がそれを読み取っているとしたら、彼の指と唇はあまりに敏感だ。
触覚の鋭敏さを示す数値の一つに「二点弁別閾」がある。これは、皮膚の接近した2点を針などで刺激して、どの近さまで2点を別々に感じられるかということ。
2点弁別閾は体の部位によって大きく違う。筆者が唇にノギスを当ててみると、2㎜までは2点として感じられた。
一方、髪の顕微鏡写真を見ると、キューティクルは髪の長さの方向に0.01㎜間隔で並んでいる。これを因幡が識別できるとしたら、彼の唇は少なくとも一般人の200倍も敏感ということだ。視力に置き換えると200もあるようなもので、猛烈な繊細さ……!
ここまで繊細な因幡は、心も傷つきやすいかもしれないなあ。
周囲の人は優しく接してあげてほしいと思います~。

イラスト:近藤ゆたか