hokuto

青春時代に貪り読んだマンガを一つ挙げろと言われたら、筆者の場合は『北斗の拳』だ。

北斗神拳の使い手・ケンシロウが「あたたたたたたたたたた!」と怪鳥のような奇声を発して敵を連打する。そして、静かにひと言。
「経絡秘孔を突いた。おまえはすでに死んでいる」
敵は「な、何だとォ!?」などと言い返そうとするが、次の瞬間、その言葉は「あべし!」「たわば!」などという断末魔の悲鳴に変わり、体が大爆発……!

面白かったなあ、『北斗の拳』。
当時、貧乏な大学生だった筆者は、友人たちと掲載誌「週刊少年ジャンプ」を回し読みして、試験のときなど「おまえはすでに落第している」「やっぱし!」などと言い合っているうちに、筆者は本当に落第してしまいました。とほほ~。
ほろ苦すぎる青春の思い出に身をよじっている場合ではない。

当時から気になっていたのは、ケンシロウの言う「すでに死んでいる」の意味である。
これはどういうことだろう?
すでに死んでいる人にそう言ったところで、相手には届かないのだから意味がない。
わざわざ「おまえはもう死んでいるんだよ!」と言い聞かせなければならない相手がいるとしたら、それは成仏できない地縛霊……!?
いやいや、相手はいまこの瞬間まで元気に戦ってきた屈強な男だ。
すると、科学的にも国語的にも「おまえはもうすぐ死ぬ」と表現するのが正しいのではないだろうか?

ヒミツは経絡秘孔にある

この問題のカギは、やはりケンシロウが使う北斗神拳にあるのだろう。
北斗神拳の歴史は、なんと1800年。
親から子へ、師から弟子へと、一子相伝で伝えられてきたという。代々の継承者のなかに1人でもボケナスがいたらそこで途絶という、まことに危うい文化伝承システムだ。

その最大の特色は、「経絡秘孔」と呼ばれる人体の急所を指で突くことで、相手の体を内部から破壊する点。そして、ケンシロウの解説によれば、人体に経絡秘孔は708もあるという。
では、急所を突けば、人間の体が爆発することがあり得るのだろうか?

中国医学では、人間の体には「経脈」と「絡脈」が網の目のように走り、内臓の働きを調節しているとされている。
これらを合わせて「経絡」と呼び、経絡が皮膚のすぐ下を通っている部分が「ツボ」である。
『北斗の拳』でも、経絡秘孔とは、このツボのことだと説明されていた。
人体を解剖しても、経脈や絡脈が見つかることはない。
しかし、ツボを刺激すれば体調がよくなることがあるのも事実。実際には、神経やホルモンが作用していると考えられる。

体調がよくなるツボがあるのだから、その逆の、そこを突けば体調が急激に悪化するツボがあっても不思議ではない。
たとえば、そこを突くと神経が刺激され、「心臓に水分が足りない」という誤った情報が伝達される、などというツボがあったらどうなるか。
全身の水分が心臓へドッと集まり、心筋の細胞はその水分を吸収して膨れ上がり、限界を突破して、ついには破裂!という可能性もないとはいえない……かなあ?

ただし、ツボへの刺激で、それほど大きな影響を与えられるとしたら、中国式マッサージは怖くて受けられないし、一部の細胞だけでなく、体全体が「あべし!」と大爆発するのは、あまりにも不思議だ。
北斗神拳は、1800年の歳月をかけて、それを可能にしたのだろうか。
う~む、オソロシか~。

「すでに死んでいる」とはどんな状態?

そんな北斗神拳が到達した境地が「おまえはすでに死んでいる」なのだろう。
これは、科学的にはどういうコトなのか?

「人間は、首を切られても3秒は意識がある」という話を聞いたことがある。
『ベルサイユのばら』のアニメ版でも、ギロチンにかけられたマリー・アントワネットの目には、ゆっくりと傾いていく周囲の景色が映っていた。
それって実話かよ!?と怪しまれても困る。首をちょん切られて生還した人がまだいないのだから、確かめようがない。
しかし、科学的に考えれば、血液に酸素や養分が残っているうちは、脳は活動できるはずだ。
3秒かどうかは別にして、首を切られた王妃さまに周囲が見えていた可能性はあると思う。
この短い時間が「もう死んでいる」状態ということにならないだろうか。

いや、よく考えると、脳が活動しているあいだは「まだ死んでいない」というべきか。
死ぬのは確実だが、まだ辛うじて生きているのだから「すでに死んでいる」わけではない。
「もうすぐ死ぬ」は生と死の境界をまだ超えていないが、「すでに死んでいる」はその一線を越えてしまったことを意味するはずだ。
すると、ケンシロウにやられたヤツらは、生死の境界を越えながら、いまだ生きていることになる。う~む、まるで禅問答……と、ここまで書いて、思い出した。
自然界にもこれとよく似た現象がある!

1気圧のもとでは、水は0℃で凍る。
ところが、純粋な水を静かにゆっくり冷やしていくと、0℃より低くなっても凍らないことがある。
「過冷却」と呼ばれる現象で、水としても、もう氷になりたいのだが、何かきっかけがなければ氷の状態に移れないのだ。
逆にいうと、きっかけさえ与えれば、たちまち氷になる。
過冷却の水をかき回したり容器を叩いたりすると、その刺激でサーッと凍り始める。
これ、機会があったらぜひ実験してください。うまく行ったら、ちょっと感動するよ~。

『北斗の拳』図A

すでに限界を超えているのに、本来そうあるべき姿にならない。
ひょっとしたら、経絡秘孔を突かれた人々も、この過冷却と同じ状態に陥っているのではないだろうか。
すでに死んでいてもおかしくないのに、実に危ういバランスで、生きていたときと同じ状態が保たれている……?
よし、これを「過死亡」と名づけよう!

筆者の推論が正しければ、過死亡から真の死亡へ移るにも、何かの刺激が必要なはずだ。
思うに、その刺激を与えているのは、経絡秘孔を突かれた人たち自身ではないだろうか。
ケンシロウに「おまえはすでに死んでいる」と言われて、何か言い返そうとすると、それが刺激となって、過死亡が真の死亡へ至ってしまうのかも……!?

『北斗の拳』図B

生き延びる方法はあるか?

そういうことなら、ケンシロウに秘孔を突かれた人々にも、生き延びる道はある。
真の死亡に移行するきっかけを与えなければよいのだ。

「お前はすでに死んでいる」と宣告されても、言い返さない。
過死亡のまま、じっと耐える。
過冷却の水も、放っておけば温度が上がって、ただの水になるのだから、そのまま一晩も寝れば過死亡は解除される……はず。
どうだ、この仮説はっ!?

……と、エラそうに書いて、筆者は冷や汗が流れ始めた。
北斗神拳は、一子相伝。その奥義を受け継ぐのは常に1人であり、ケンシロウも、同じ時期に修行した4人の兄弟のなかからただ1人選ばれて、秘伝を授けられた。
他の兄弟も同じように修行したけれど、奥義を教えてもらえなかったのだ。
それほど厳しい秘密なのに、筆者がこんなところで勝手な推測を書き散らしちゃってもよいのだろうか?

もし当たっていたら、一子相伝の掟によって経絡秘孔を突かれるかも……。
ああ、本当にオソロシか、北斗神拳。