トリトンタイトル

水族館などでイルカのショーを見ていると、自分もイルカに乗ってみたくなる。
イルカは海中を自在に泳ぎ、軽やかにジャンプし、人間とのコミュニケーション能力も極めて高い。仲よくなって、いっしょに海の旅ができたら、まことに楽しそうだ。

そんな夢をそのままカタチにしたのが、1970年代のアニメ『海のトリトン』だった。
ある小さな漁村に、トリトンという緑の髪をした少年が住んでいた。彼は人間の子どもとして暮らしていたが、13歳になったある日、白いイルカがやってきて出生の秘密を告げる。実はトリトンは、海の平和を守るトリトン族の生き残りなのだという! 
トリトンは、白いイルカ・ルカーの言葉を信じ、海の平和を荒らすポセイドン族と戦う決意を固める。そしてルカーの背に乗り、遠大な海の旅に出るのだった……。

原作は『青いトリトン』

このアニメの原作は、手塚治虫のマンガで、元のタイトルは『青いトリトン』だった。手塚先生の作品だけあって、明るいばかりの英雄譚ではなく、トリトンは驚きの最期を遂げてしまう。
それに比べると、アニメ版は独自の設定や展開も多く、全体にヒーロー色が強い。だが、最終回には仰天のどんでん返しが待っていた。トリトン族とポセイドン族の関係は、トリトンが信じていたものとは違い……、いや、それはぜひアニメでご確認ください。びっくりです。

マンガ版もアニメ版も一筋縄ではいかない『トリトン』だが、共通しているのは、トリトンがルカーの背に乗って旅をすることだ。
イルカが外洋を泳ぐ速度は、時速60㎞。人間の場合は100m自由形のトップ選手でも時速8㎞ぐらいだから、人間がイルカと旅をするなら、イルカに乗せてもらうのは当然ともいえる。
もちろんトリトンは海に生きるトリトン族の末裔だから泳ぎが得意そうだが、人間の体形である以上、イルカほど速くは泳げないだろう。
それでも筆者は気になる。そもそもイルカの背中に乗ることは、そんなに簡単なのだろうか?

尾ビレで股間をドガガガガ!

イルカは哺乳類なので、泳ぎ方も魚類とは違う。魚たちが体を左右に振るのに対して、体を前後にくねらせるのだ。
このような動きをする動物に、人間が乗れるのだろうか。

トリトン図解1

そう思って、福岡のマリンワールドに問い合わせたところ、こんな答えが返ってきた。
「イルカの背ビレは、胴体の中央についています。その後ろに乗ると、イルカはバランスがとりづらくて仕方がありません。どうしても背中に乗りたかったら、せめて背ビレの前に乗っていただきたいですね」。
うーん、やっぱり。背ビレが胴体の中央にあるなら、トリトンは尻尾から3分の1あたりに乗ることになってしまう。これは確かにバランスが悪い。
だからといって、マリンワールドの方が言われるように背ビレの前に乗ると、今度はつかまるところがない。これで時速60㎞なんて出されたら、海に転げ落ちると思う。
どうしても背ビレにつかまろうと思ったら、トリトンは後ろ向きに乗るしかないだろう。だが、どう見てもカッコ悪いし、そんなんでポセイドン族と戦えるのか!?

トリトン図解2

仕方がない。ここは、優しいルカーが相当ガマンしてくれたものと考えて、劇中の描写どおりの乗り方をしたとしよう。
すると、新たな問題が発生する。先に述べたように、イルカは前後に体をくねらせて泳ぐから、尻尾の近くに乗ったトリトンは、かなりの勢いで上下に揺さぶられるはずなのだ。イルカ酔いする心配はないのだろうか?
そこで『ファンタジーアニメアルバム 海のトリトン』(少年画報社)と『イルカに学ぶ流体力学』(永井實/オーム社)を参考に、トリトンが揺さぶられる幅を計算してみた。
結果は、上下に29㎝である。結構大きな振れ幅だが、揺さぶられるペースも早い。体長3・4mのルカーが時速60㎞で泳ぐとして、尾ビレを振る回数を計算すると、なんと1秒間に6回! 
け、結構キツくないか!? 
このけたたましいペースで上下に29㎝も揺さぶられたら、トリトンの体はその動きについていけず、空中にほとんど浮いたまま、ルカーの背中で毎秒6回も股間をドガガガガカッと連打されるであろう。この苦境は、男子としてどうしても避けたい!

旅というより漂流ですなあ

ここはルカーにお願いして、尾ビレを振る回数を1秒に1回ぐらいにしてもらうしかない。
だが、尾ビレが動くペースが6分の1になると、速度も6分の1になる。すなわち時速10㎞しか出せないのだ。こんなにノンビリした速度で、7つの海を渡れるのだろうか?
トリトンの旅は、まことに遠大だった。日本を出発して北氷洋で人魚のピピと出会い、南下して赤道直下のイルカ島へ行き、太平洋を越えてマゼラン海峡で折り返し、西へ進んでマダガスカル沖、北上して紅海から海底トンネルを通って地中海へ抜け、北大西洋でポセイドンを倒す。
地図で測ると、実に全行程7万6千㎞の旅である。
この長大な距離に時速10㎞で挑むと、所要時間は7600時間。ルカーが1日10時間泳いでも、2年以上かかってしまう。しかも、毎秒1回ずつ高低差29㎝で揺さぶられ続けながら……。
これはもう、旅というより実質ほとんど漂流ではないかなあ。

水や食料はどうしたのだろう?
イルカは海水を飲んでも、塩分濃度の高い尿を排出することによって、体内の水分を調整できるが、人間はそうはいかない。一定以上の海水を飲むと、赤血球が縮んで死に至るのだ。
トリトン族のトリトンが、塩分濃度の高い尿を排出できたとしても、食べ物は困る。魚やイカや、せいぜい海草しかない。もちろん全部ナマ。味付けは塩味だけ13歳まで人間と同じ暮らしをしていたトリトンが、そんな食生活に耐えられるのだろうか。
さらに、日射の問題。イルカに乗っている以上、太陽光線から逃れることはできないから、重度の日焼けを起こすだろう。アニメでは色白の美少年として描かれていたが、現実のトリトンは真っ黒に日焼けしていたはずである。う~む、イルカに乗った少年の旅は問題山積だ。

では、もし明日あなたのところに白いイルカがやってきて「あなたはトリトン族の末裔なのです。いっしょに海に行きましょう」と言ったらどうすればいいのか? 
コトは海の平和を守るという大問題である。決して自分一人で解決しようとは思わず、まずは海上保安庁に通報しよう。海の事件、事故に関する緊急電話番号は118です。

イラスト:近藤ゆたか